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リアリティ

小説ってすべからくフィクションなのであると言うことは解ってはいるけど、やはり小さいほころびが目につくと読んでる側としては鼻白む、モノがある。
俺は最近「あ、俺は女性の作家の書く作品のほうがすきなのだな。」と自覚したのだが、瀬尾まいこさんや有川浩さんの書く小説の出てくる登場人物の話す関西弁はまったくよどみがないつー、違和感の無い関西弁なので安心できるのだ。
例えば、
「一緒にいたい。」→「一緒におりたい。」
「ちがいます。」→「ちゃいます。」
こういうとこが作品にリアリティをもたせてくれるのだ。
あと、先日、大崎善生氏の「ロックンロール」って作品を読んだ。その作品ではジェフベックの「哀しみの恋人達」って曲がストーリーの中で重要な意味を持ってくる。主人公はそれが収録されてるアルバムの事を「ギター殺人者の凱旋」(原題はBLOW BY BLOW)とまで言及するのだ。そこまで書かれると「あ、この作者は本当にこのアルバムが好きなのだな。」と思う。今日日こんなだっさい邦題口にすることなんかないもの。
ただ、これがゼッペリンの「天国への階段」となると、「ロバートプラントはこんな叫びを繰り返す。To be a rock,and not to roll" 何度も何度も同じフレーズを、まるで泣き叫ぶように歌い続け、そしてこのドラマチックな曲は終焉を迎える。」と記してあるのだが、この曲が耳タコの人にとっては「何言うとんねん。」ってなもんだろう。ライブテイクを聴いてたとしてもこんな歌い方をしたテイクなんか無いはずなのだ。要はこの人も編集者もゼップには全く思い入れがないのだなと言うこと。思い入れがないんだったら、それを小説のネタに使うなよ、っていうのが俺の見解である。失礼じゃん。ほんで、一気にリアリティつうかその世界に入って行けなくなる。この作品それなりに面白かっただけに残念でした。以下最近読んだ小説。

20140105 001
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